内側のここ
「他人におきていることが見えるくらいに、
自分におきていることが見えていたら、
わたしはもうとっくに「回復」してると思う。」(パット)
「外のあそこ」について気づいていることは、
「内側のここ」で理解するべきことなのかもしれない。
父親のようには、絶対なるまいと誓っていても、
わたしたちは、ふと気づくと同じことを言っている。
上司のように、わたしたちを操っているようなやり方は、
してはいけないと頭でわかっていても、
自分が他人に同じようなことをしているのに、
気づくことがあります。
「内側のここ」ですね・・・・
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